プロフィール

こんにちは。はじめまして。

笑って笑ってドットコムの管理人、
橋本 橙佳(はしもと とうか)です。

せっかく来て頂けたので、どんな人間が運営しているかをお伝えします。

 

 

なぜ、私が投資に関するブログを立ち上げる事になったのか?

そういったバックグランドをつらつらと書き連ねているので、

知っていただけると非常に嬉しいです。

どういう気持ちでブログを書いているかも綴っていきます。

 

自己紹介

改めまして、橋本 橙佳(はしもと とうか)です。

兵庫県出身。今年で33歳になります。

似顔絵画像にもにじみ出ていますが、笑うことを大事にしています。

その影響でしょうか。

これまでの人生、ずっといい人に囲まれて過ごしてきました。

笑う門には福来る、と信じています。

 

創ることが大好きだった少年時代

私は10歳のときに、漫画を描く楽しさに目覚めました。

下手くそな絵でしたが、純粋に物語を創るのが楽しかった。

けれども、だんだんと、周りと自分を比べ始めます。

 

下手くそな絵が恥ずかしく感じられて。

気がついたら自分がやりたいことじゃなく、

誰かがやってほしいこと(勉強)をしていました。

 

周りと比べた高校時代

沢山の友だちに囲まれて、幸せでした。

ゲームとボーリングにハマって、みんなで遊んでいましたね。

 

また、私には弟が1人いて、とても仲がいいのですが、

彼と2人でマジック・ザ・ギャザリングにハマりまして。

自分でカードを作ろうと画策したことがあります。

けれどお金がなくて、途中で諦めました。

この経験が後の投資へ繋がったのかもしれません。

『お金がなければ、好きなことはできないんだ』と。

 

じゃあ、稼げるように良い大学に行かないとな!

と思うのですが、勉強に興味が持てず偏差値は一向に上がりませんでした。

みんなどうやって勉強してるんだ・・・ついていけん・・・と絶望する日々。

人並みに塾に通って、神戸大学、大阪大学、京都大学進学を目指しますが挫折。

この頃から学歴コンプレックスに苛まれるようになります。

あまり努力はしてないのにね。。

※結果だけを求めて、改善のための行動案を全く検討しなかった当時の自分・・・。

GROWモデルを教えてあげたいですね。

 

 

最終的には偏差値55の大学に入ることができました。

十分素敵な大学なのですが、当時の私は中堅大学だとけなしていました。

じゃあ一浪でもして勉強すればよかったのに。そんな勇気もなかったんですね。

 

このころ持病が発覚します。慢性腎炎(IgA腎症)です。

 

レールから外れた大学時代

さあ、けなしていた大学に入学しました。

さぞかし俺TUEEEができるものと思っていたら、全然ダメ。

この頃の私は絶望していたでしょうね。

身体も弱い、頭も悪い。じゃあ何の取り柄もないやん・・・と。

 

もんもんと過ごしていた私に転機が訪れます。

慢性腎炎(IgA腎症)の治療法の1つである、扁桃パルス治療です。

これは扁桃腺を摘出し、大量のステロイドを2~3時間点滴するのを3日間続けるパルス治療と自宅でステロイドの内服薬を飲む治療法なのですが、見事に副作用にやられました。

 

具体的には極度の躁状態になっちゃったんです。

3日3晩眠らずにパソコンへエッセイを書いたり、

音楽を聞きながら20キロの距離を歩き回ったり、

恐ろしく口が回るようになって友人知人の人生相談にのったり・・・。

明らかな変調に、家族の配慮で、2週間くらいで病院へ。

このとき本人は異変に気づいていませんでした。薬って怖いですね。。

 

1ヶ月ほど病院へ入院した私は、その後猛烈な鬱に見舞われました。

周りの人は自分を変な人だと感じているに違いない。

弟も家族も自分を避けているように感じる。

大学にも行きたくないし、友達にも会いたくない。何もしたくない。

 

人からどう見られているか、が自分の価値基準になっていました。

 

私個人としては、大学を休学したかった。

けれど両親はいける時に行けばいいからと言って、大学の学費を払い続けてくれました。

私は両親の前では大丈夫なように振る舞って、たまに大学へ行きました。

でも実態は、授業に出ず、図書館の横の自習室でパソコンを触っていました。

両親には見抜かれていたんじゃないかなあと感じます。

 

そんなこんなで私は留年します。

5年目の始業式、それは私がレールから外れた瞬間でした。

 

あと一歩及ばぬ大学院時代

大学5回生になった私は、就職活動のことを思い出します。

しかし、勉強はできませんでしたし(単位だけはたくさん取ってましたが)、

サークル活動もしていませんでしたから。

こんな自分がまともなところに就職出来るとは考えられませんでした。

 

私はモラトリアムを延長するため、大学院への進学を決意します。

大学院は受験すれば合格できるところも多いのでしょう。

筆記試験、面談ともに手応えはありませんでしたが、私は晴れて大学院生になりました。

 

大学院の2年間。

これは私の学生生活の中で、一番充実した2年間だったと感じます。

20人位いた同期全員と仲良く遊び、沢山の思い出を作りました。

 

勉強も頑張って『優』を取り続け、学会でも何度も発表させてもらいました。

学会で表彰状をいただいたこともあります。

学生フォーラムの実行委員をさせてもらうこともできました。

 

フィリピンへの1ヶ月間のインターンシップを、大学のお金で行かせてもらいました。

言葉がわからなくても、身振り手振りで仕事をしました。

自分のコミュニケーション能力の高さを実感させていただくことができました。

日本がどんなに恵まれているのかを実感しました。

 

最後は副主席の成績を残すことができました。

※優の数は私のほうが多かったのですが、主席の子はとにかく単位数が多くて。学内のルールで、単位数の多い学生が評価される仕組みになっており、私は負けました。学長から、今回はルールに従うが、優秀な学生が損をしないようにしなければいけないとコメントをいただいたことが嬉しかったですね。いま、ルールは変わっているのでしょうか。

 

就職も、大学時代の私では決して届かなかった東証1部上場企業に決まりました。

 

 

まさに順風満帆な大学院生活のように見えました。

それでも私は、2番目で良いやという呪いにかかり始めていたように思います。

 


 

社会人生活で花開く

中堅大学、副主席。

あと一歩及ばぬ感じが、実に私らしいですね。

 

そんな私も社会人になり、一丁前に仕事をするようになりました。

先輩方に影響されて、ギャンブルを始めたり、北新地に飲みに行ったり。

お金を使う生活は楽しかった。

けれどその生活は虚しさも内在していました。

 

社会人4年目には、創作活動もすっかり止めてしまい、

スノーボード、ゴルフ、合コンに明け暮れる日々。

病弱なオタクが一般人になったように、浮かれていました。

 

この頃業界で最上位の資格を取得。

社内で評価いただきました。

 

私はいつしか慢性腎炎であることを忘れていました。

自分の体を労らなかったです。

薬も飲み忘れることがあったし、病院に1年行かなかったこともあります。

慢性腎炎が怖いのは、自覚症状がないところ。少しずつ身体は悪くなっていたはずです。

それでもあの事件が起きなければ、私は今も無茶をしていたでしょう。

 

人生の転機

2015年1月。スノーボードで腰の骨を骨折。

3ヶ月間入院しました。(プラス2ヶ月、自宅療養)

 

事故当時は下半身が麻痺しており、

もう一生歩くことができないのだろうなと感じました。

 

両親に育ててもらった身体を粗末に扱って、本当に申し訳ないなと感じました。

病院で寝たきりの生活が続き、筋肉が衰弱。

立ち上がるだけでめまいがしたり、

2キロのペットボトルを持ち上げることもできない状態になりました。

 

当時の課長に『アホなことしてすみません』と泣きながらメールを打ち、

『ほんまやで。待ってるから早く帰ってこい』と言われたことを今でも思い出します。

 

私はリハビリを繰り返して、何とか1人で歩くことが出来るようになり、

多くの人に支えられて、また会社に戻ってくることができました。

今だって、全盛期の半分も仕事はできていませんが、

居場所をつくってくれた皆に、ありがとうと伝えたいです。

 

復帰1年目には、社内表彰をいただくことができました。

今度は2番目でいい、なんて思いませんでした。最後まで成果を積み重ねました。

何一つ文句のつけようがない完璧な成績と評されたことを、嬉しく感じています。

 

 

この経験から、私は3つのことを学びました。

・人は誰かに支えられながら生きているのだということ。

・1番になりたいと行動すれば1番になれるということ。

・人生は短いということ。

結局私は、5ヶ月間会社を休みました。

その間に、自分が本当にやりたいことはなんだろうと考えました。

 

私の中で、

休んでいた私を待っていてくれた会社に恩返しをしなければ!

という想いと同じくらい、

短い人生の中で自分がやりたいことをやりきって死にたい。

という想いが湧き上がってきました。

 

 

そうして始めたのがLinkAuter Chronicle Xceedの活動でした。

LinkAuter Chronicle Xceed

http://linkauter-chronicle-xceed.com/

 

着想は私自身が高校生の頃。

日本中のどんな作品ともコラボレーションできるような、何でもありの世界を作りたい。

そういった考えから生まれました。

 

今はその想いももっとブラッシュアップし

■1.既存の枠組みにとらわれない創作活動で何ができるか試したい。

■2.日本の想像力が集まればこんな面白いことが出来ると示したい。

■3.この創作活動によって、日本の経済を動かしたい。

そんな野望を持って、私は活動を続けています。

 

何度でも言う、人生は短い

人生の転機を経て、私の人生の中心に創作活動が戻ってきました。

稼いだお金のほとんどは、LinkAuter Chronicle Xceedに費やしています。

多くの方にイラスト、小説、音楽を提供していただきました。

 

さてここで問題が発生しました。

あまりに多くの財産をLinkAuter Chronicle Xceedに費やしてしまい、

お金が足りなくなってきたのです。

 

私はこのとき、もう1つの真理に辿り着きます。

・お金がなければ、好きなことは出来ない。

 

そこで私は投資の世界へ足を踏み入れることにしました。

多くの人は、漫然とお金に不安を持ち、老後のためにお金を稼ぐのでしょう。

それは間違っていないと思います。

けれど安心のためにお金を稼いでも、最終的に幸せにはなれないと感じます。

 

人生は短いのです。

 

私も、腰を骨折して以来、慢性腎炎が進みました。

あと5年もすれば人工透析が始まるでしょう。

透析患者の平均寿命は、一般的な人の半分と言われています。

※代わりに障害者年金がもらえます。死神の目みたいですね。

 

それならもう、老後のことなど知らん!

今が大事!と開き直るほかないですよね。

好きなことをするためにはお金が必要、だから投資をしていきます。

 

 

 

大義を成す為には力が必要。

いつか自分の作品が皆さんに愛していただけることを目指して、日々精進致します。

これを読んでいる皆様も、やりたいこと、やってみたいことがあれば

ぜひチャレンジしてみてください。

共にお金を扱う力を身につけて、幸せな人生を送りましょう!

ご意見・感想・コメント等をお待ちしております!長文になりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!